スエズ運河 (エジプト) を抜けてヨーロッパへ ~日本の関わり ~
2018年9月27日 スエズ運河通行🚢
1つ前の寄港地 モルディブ ~ 次の寄港地 ピレウス(ギリシャ)まで、11日間の洋上生活中です。
以前の記事でも書いたようにこの期間には、海賊警戒海域のソマリア沖も通過しました。
その時の記事についてはこちらお読みいただけます。護衛してくれた軍艦についても記載しています。
今回はスエズ運河を通行したときのことをご紹介していこうと思います💁♀️
スエズ運河とは…
スエズ運河(スエズうんが、قناة السويس qanāt as-suwēs)は、地中海と紅海をスエズ地峡で結び、アフリカとアジアを分断するエジプトの人工海面水路である。1859年から1869年にかけてスエズ運河会社によって建設され、1869年11月17日に正式に開通した。スエズ運河は、地中海と紅海を経由して北大西洋と北インド洋を結ぶ水路で、アフリカ大陸を回らずにヨーロッパとアジアを海運で連結することができる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/スエズ運河
現在、スエズ運河は193.30 kmの長さがあります。
ユーラシア大陸とアフリカ大陸の土地がくっついている部分を船が通過できるように作られたものがスエズ運河ってことのようです!
紅海を進み、スエズ運河の入り口まで近づくとたくさんの船が見えてきました。
砂漠の陸地が見える場所を進んで行きます。砂でだいぶ霞んでいます😂
👆こんなものも見ました。
これは、何だったのでしょう。いまだに分からないままです。沈没船のオブジェなのでしょうか?
本当に沈んでいる最中であれば、もっと周りに救助船とかいるはずですよね💦
スエズ運河は、1日で50隻前後が通行するそうです。また、1回の通行料がで数千万円かかるらしい。
スエズ運河を通行するたくさんのコンテナ船とともに順番にスエズ運河に入りました。
この橋は、エジプト-日本友好橋という名前の橋だそうです。
この橋は、日本政府からの支援の下に建設された。高架部の施工を請け負ったのは鹿島建設、日本鋼管、新日本製鐵によるコンソーシアムである[2][3]。 建設費の60 パーセント、135億円に上る日本からの支援は、より大きなシナイ半島開発プロジェクトの一環として、1995年3月のムバーラク大統領の日本訪問時に合意された。エジプトは残りの40 パーセント、90億円を負担した。橋は2001年10月に開通した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/スエズ運河橋
橋の下をくぐるときに見えたのですが、橋の名前の通りエジプトと日本の国旗が見えました。
監視する人たちの停留所みたいなところは、エアコンなんて一切ないでしょうし、一番左の塔なんて高所恐怖症の私には絶対に無理です😂
エジプトの住宅地のような景色も見れて、実際に街を歩いたわけではないですが、眺めるだけで結構観光した気分になれました😆
このスエズ運河通行はデッキに出ている人も多く、私も長い時間デッキに出ていました。日中は結構暑くて日焼け対策も必要ですが、朝のみウルトラライトダウンを着て外に出るほど寒かったです。
ポートサイドを通過する瞬間は、いつの間にか通過していた(;’∀’)って感じで過ごしちゃいましたが、無事にスエズ運河も通過することができました👏
次に到着する寄港地は、ピレウス(ギリシャ)です。
ピレウスは、アテネのある場所です🌿
前の寄港地から、11日間の船上生活ですがこの間に、船内運動会というものも開催されたり、乗客を飽きさせることのないようにスケジュールが組まれています。
私は、運動会には参加していないですが、大変にぎわっていましたよ😊
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